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目が悪い。極度に悪いわけではない。ただ、ある程度接近しないと顔が分からないので、遠くから声を掛けられた時に、誰だか分からず適当に手を振ったりする。これは困る。スポーツも、かなりやりにくい。バトミントンをやる時、空中にある残像みたいなものを何となく叩いてシャトルにヒットさせていた。時々手元に来て具現化するシャトルにびっくりしたりする。目つきも悪くなる。よく眠れなかった日なんか、人殺しのような目をして街を歩いている。

良い事もある。人の顔が識別できないので、人前に出た時に余計な緊張をしない。よく「観客をかぼちゃと思え」というが、僕にとって観客はかぼちゃですらない、もう何かが蠢いてるのをただボーッと見ているだけだ。あと、何となく「見え過ぎない」という感覚が心地良い。これは最大の理由にして、非常に説明し辛い。そして恐らく説明した所で、理解されない。当事者しか分からない感覚だ。何人かの友人は共感してくれる。それで何となく嬉しい。眼鏡は持っている。何か見たい時にはかける。それでいい。

以前、講堂の壇上で何人かの同輩がスピーチするという場があって、それを聴衆として観ていた。眼鏡をかけずに。スピーチする人間は多いので、段々と飽きてきて、何か変化をつけたくなった。よし、眼鏡をかけようじゃないか。と思った。その時、隣の男が「あっ、次の人可愛い」と言った。僕と反対側の隣の男に話しかけていたのだが、僕にも聞こえてしまった。僕は手に取りかけた眼鏡をそっと置いた。ここで僕が眼鏡を勢いよく取り出し耳にかけようものなら、「おいおい、おったまげたね。こいつは性欲の権化だ」と隣の男に思われかねない。会場が、ザワつきだすかもしれない。女子供は泣き出し、会場は色欲の化物の討伐場へと変わるかもしれない。「奴を殺せ!」隣の男が叫び出す。いやお前も同罪だろと訴えるが奴はきかない。殺される。仕方ない、このまま眼鏡無しだ。しかし、可愛いと聞こえたからには、興味も湧く。畜生、最初から眼鏡をかけておけばよかった。コンタクトをはめて生活していれば良かった。

そう思う時もある。

 

「目が見えなくとも 姿形色が分かる」-Climax Night/Yogee New Waves